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あれから3年…NICU最後の日。初めて娘と帰宅した時のこと。

昨日である2018年7月25日、天国へ旅立った娘の3回忌を迎えました。

もう3年も経ったのか…と驚いたと同時に、まだ娘を抱いた感触はこの手に残っていることを嬉しく思ったりしています。あの時、この感触を忘れることがとても恐怖に感じました。

でも、一生忘れることはないなって、今は安心できるようになりました。

今日はあの日のことを話してみようと思います。

■7月25日の夕方NICUから電話が鳴る

夕方、シャワーを浴びて出た時に携帯電話が鳴る。NICUが「容体が急変した」とのことで、髪の毛はビショビショのまま家族みんなで高速に乗って向かう。

安定を見せていた…そう思っていた数日を過ごしていたので奇跡を感じて、信じていた時だったけれどやっぱり13トリソミーだからこうなってしまうのか、と色々な気持ちがあっちからこっちから。

到着した時はまだ意識があり、看護師さん2名と医師1名から色々な説明を受ける。頭は追いつかないけれど、何とか奇跡が起きないかと祈るのみ。

心臓が乱れ、ついに「ピー」という音に変わった時、その場にいた医師が心臓マッサージを試みたけど…戻ってくることはありませんでした。

今思えば、家族が来るのを必死に待っていてくれたんだなぁって感じます。

■死亡届を書く

頭がぼんやりしたまま隣の部屋で死亡届に記入しなければなりませんでした。誰かが代わりに書いてほしい心底思ってしまいました。

そして母に電話をかけて報告をする。家族のLINEグループで離れた家族に伝える。こんな時にLINEって…と思ったけど、1人1人に伝える元気がないので一気に伝わるLINEグループは使えるなあと思ったりして。

でも、こうなる前に妹や義理の姉たちが会いに来てくれたので本当によかった、これはNICUの方たちの協力なしには叶わなかったこと。そして京都から飛んできた妹には本当にありがたい気持ちでいっぱいに。

■最初で最後の淋浴

再びNICUに戻ると、この日出勤予定ではなかった婦長さんや担当医師が駆けつけてくれていて驚く。そして、「お風呂に入れてあげましょう」となんと淋浴の用意をしてくれました。

息子は戸惑っていたようだけど、その時初めて娘の裸を見ることができました。思えばオムツ替えもすることなく、着替えも全てお任せ状態でした。

最後は可愛い洋服を着せてあげる。

ふとここで、この後どうするんだろう?という思考にたどり着く。

お葬式…?するのか、とようやく頭が追いつきます。

実は娘がNICUに入っている最中、夫と「考えておかなくちゃならない」と話しはしていました。考えたくないけど、その時何もわからないんじゃいけないなということで。

お葬式はともかく…娘、初めて家に帰ります。

■病院の裏口から出ました

一般の人にはわからないであろう、裏口に通されました。

タオルに包んだ娘を抱きかかえ、夫が車を横づけにします。NICUの方々がみなさん並んでお別れをしてくれました。娘にとっての第二の家族がNICUの方々だったので…とても寂しかったですね。

そして、とても親身になってくれた看護師さんが、私の耳元でそっと教えてくれました。

「3日くらいおっぱいが張ってつらいけど、放っておけば落ち着くから…」

この言葉の意味は帰宅後にようやく理解することになります。

■初めて家族みんなで並んで眠る

帰り道の車内で息子が「初めて家に帰れるね」と嬉しそうにしていました。夢までみた日はこのような形で叶うことになり…複雑だけど、貴重な夜を味わいたいとみんなでくっついて眠りました。

動かない娘を見ると、自分の娘だけど少し怖くなって来るんです。

次の日はお願いをした葬儀屋さんがドライアイスで娘を冷やしました。その晩がお通夜となり翌日火葬場へ向かいました。夜は何度も娘の顔を覗いてしまいますね。

この夜、毎日搾乳機で絞り出していた母乳の行き場がなくなったことで胸がかっちかちに固まりました。その晩は熱が出てしまうほどつらかったです。

胸の痛みに耐えながら娘を送り出す日を迎えます。

霊柩車のお迎えサービスもあったようですが、ここはアパートだし周囲の目も気になるし…。何より娘の棺桶の小ささに驚きました。いつもの車で運んで行きたいと思い、霊柩車はお断りしました。

母と夫のお姉さんにも付き添ってもらい、小さな骨壺の中に入った娘を受け取って帰りました。火葬場という場所は本当につらいですね…。

ちょうど夏休みに入ったころ、とても暑い日でした。

そして胸は、軽くマッサージをしながらつらい3日を過ごしたら自然にしぼんでいきました。

■NICUのみなさんからメッセージカードが届く

その年の12月にNICUのみなさんからこんな可愛いメッセージカードが届きました。

可愛いクリスマスのカードでした。

「何も用がなくてもNICUにいつでも電話していいんだよ」と言ってくれた婦長さんの言葉はとても嬉しかったです。

クリスマスカードのお返しに、翌年の夏に暑中お見舞いを送りました。すると、お返しに再び可愛いメッセージカードを受け取りました。

すでに1年以上が経過しているにも関わらずこのようなお返事はとっても嬉しかったです。嬉しいばかり言っていますが、娘が生まれてからNICUは私の居場所でもありました。

長くなりましたが、妹の最後の日やNICUのことについて書いてみました。3年前のあの日、「娘を亡くした人」として生きていくことに不安を持ちました。

娘のお仏壇に手を合わせ続けて3年。

私は大丈夫です。

残された家族は与えられた時間を元気いっぱいに進むのみ。娘もそれを望んでいるということを感じています。

NICUがどんな現場なのかはがんばれ‼ちいさき生命(いのち)たちよというブログがあります。コウノドリの現場にもなったNICUですが、小さな赤ちゃんたちのようすが更新されています。

NICUという場所は別世界のようですが、小さな赤ちゃんも同じ人間であることがわかります。よかったら覗いてみてください。

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プロフィール
raako

40代主婦、夫と子供と3人暮らし。
ウェブライターとして生きています。
脱縮毛矯正をして第2の人生を歩んでいます。

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