100円・子供・ライター・脱縮毛…田舎で生きのびる主婦

なぜうちは電気とガスと水道が止まったのか?【私の貧乏体験記1】

3大ライフラインである電気・ガス・水道がもし止まったら…。

これから書くことは、子供の頃の体験談であり、今現在のことではないことを予めお伝えしておきます。

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私の家は、電気・ガス・水道が止まる家でした

その人それぞれ色んな苦労をして今を生きていると思います。貧乏を経験した人もたくさんいますよね。

私はこれまで大きな災害に遭ったことがありません。その体験はこんな貧乏体験談のはるか何倍もつらくて大変だということ、これはまずお伝えしておきたいです。

この体験談は「ただの貧乏人の話」として読んでいただければありがたいです。

■やっぱり私の家は「もの凄く貧乏だった」と思う

私の貧乏体験などたいした事ない、今までそう思ってはみたものの、思い起こせば自分の家以上に貧乏だった友達なんていなかった…やっぱり、電気・ガス・水道全部が止まる家はおかしい!

そう思うようになりました。

なぜ私の家は電気・ガス・水道が止まってしまったのか、考えてみました。

生い立ちから考えてみる

まず物心がついた頃から私の家は貧しかったです。3歳のころはジブリっぽいボロボロの借家に住んでいたのは覚えています。

草がボーボーに生えていて、母はねずみに困っていました。

この家の記憶はほんの一瞬で、母に聞けばこの家に住む前に2~3度引っ越しをしているとか何とか。理由はよくわからないんです。この謎の引っ越しは貧乏ポイントでもあります。

家は自営業だった

うちは両親が2人で喫茶店を営んでいました。このお店はおそらく3歳になる前ごろから始めたんだと思います。その前は民宿って言っていました。民宿って…って感じじゃないですか?(笑)

お店は家から自転車で15分程度の場所にありました。近くはありません。

うちには車などなく、今思えば結構離れた場所にお店があって相当大変だったんだろうと思います。

当時車を持たない家も多かった時代だけどここは雪国。

雪の中ひたすら歩くのは大変でしたね…。

幼い頃の記憶と保母さんの存在

私の3歳~5歳くらいまでの記憶は保母さんのことで占められています。両親と何かをしたという記憶の方が薄っすらとしか残っていません。

両親は忙しかったので、私はご近所の親切なおばさん(親戚ではない)に朝から晩まで預けられていました。

もの凄く優しくて手をつないで歩いている記憶がたくさんあります。お家のご家族もみんな優しくて、高校生以上だと思う娘さんと息子さんが時々遊んでくれたのがいい思い出になっています。

電気・ガス・水道はいつから止まっていたのか?

ここまで幼い頃の記憶を辿ってみると、自分の家で過ごした記憶があまりないことに気づきます。

電気・ガス・水道がどうなっていたのか、これについてもよくわかりません。でも、家の中は薄暗くて、両親はいつもケンカをしていたことしか記憶にないです。

ライフラインがどうだったかわからないけど、すでに貧しかったのは間違いないですね。

最悪だった中高生時代

小学生のころの話は一度置いておきますが、はっきりと電気・ガス・水道が止まった記憶があるのは中高生のころ。

学校から家に帰ると電気がつかない、トイレの水が流れない、電話が止まっている…こんなことが度々ありました。

中学1年生のころは部活を頑張りたいと思っているのに、保育園に預けた妹の迎えのために部活を休んでいました。

妹を迎えに行って、家に帰るとライフラインが止まっている…一体どうしたらいいの?そんな日が何度かあったんです。

電話も通じないので両親に伝えることができず、本当に困りました。

1番困る!友達が遊びにきている時にライフラインがストップ!

こんな貧乏育ちの私ラー子ですが、友達が遊びに来ることもそれなりにありました。

友達に「トイレ貸して」と言われたら、「どうぞ」って答えますよね。

しかしです。

水道って止まってもしばらく気づかないんです。

電気がついていれば油断するんですよ。とくに昼間なんて全くわからない。

トイレから出てきた友達に

「ごめん…流れなかったみたいなの」

こう言われた時のショックは大きいです。(今でもこの時のことを思い出しちゃうんですよね…この友達とは親友として今でも付き合っています。)

あと、電話が止まっているのも友達にはすぐにバレます。

電話が止まっている時にかけると「おかけになった電話は、お客様のご都合により通話ができなくなっております」って流れるんですよ。

このアナウンスによってバレてしまいます。

友達にはすごく心配をかけました。

水道を止めに来るオジサンと何度か鉢合わせに

何ででしょうね?水道代を払っていない家の水を止める時間がちょうど学校から帰る時間とぶつかるんですよ。

午後4時ごろに家に到着すると玄関先に作業着のオジサンがいれば、子供としては「こんにちは」とか声をかけるわけです。

そのオジサンは申し訳なさそうな顔をして、挨拶に返事をすることなくそそくさと帰るんですよ。

そしてトイレに入っていざ水を長そうとすると…「さっきのオジサン水道屋さんだったのか…」と気付きます(笑)

で、母に電話で伝えると急いで払いに行くんでしょうね。

今みたいにコンビニ払いなんて出来ないから、水道局まで行って払っていたのか、銀行から振り込んで電話連絡をしていたのでは?と思います。

水道が復活するとトイレから「ザー」とか音が聞こえてくるんです。この音が、水道が復活した合図みたいになっていました。

あのオジサンは1日に2回もうちに来て大変だななんて思っていましたよ。申し訳ないですよね、ほんとに。

高校生になると電気代がコンビニ払いできるようになった!

これ、すごく鮮明に覚えているんですけど、高校2年生ごろに家の近くにコンビニがついにできたんです。

これによって、電気代だけですが、コンビニ払いができるようになりました。

なので、

「電気が止まった!」

コンビニで払う

1時間以内に復活する

この便利なシステムができあがりました(笑)

今まで遠くの電力会社の窓口まで行かなければならず(電気が止まった人はそこが受け付けでした)、コンビニの存在にわが家はずいぶん助けられましたね。

ガスも水道も支払ってから2時間くらいかかっていたように思います。ちなみに携帯電話もコンビニ払いができますね。しかも復活は早いです。

結局ライフラインが止まる原因は何だったのか

こんなに貧乏だったのはなぜなのか。

  • いつも借金の返済に追われていた
  • 自営業だから
  • 両親が不仲
  • 父親がすぐサボる
  • 経営がへたくそ
  • お金の優先順位が違う

お金に困っている原因を私はいつも不思議に思っていました。

だって、カップラーメンが続くような日はなく、それどころかお金がないのに何であんなに食材が買えたのか?と思うような母の行動がありました。

子供たちの食事だけは守ろうとしてくれていたんでしょうし、それはありがたいけど…食事はソコソコでいいので普通に暮らしたい

こんな風にいつも感じ、母に何度も伝えていました。

あと、小学生のころ、家にはピアノがありました。母が必死にお金のやり繰りをして、私に中古ピアノ(おそらく20万円程度)を買ってくれました。

リビングにはソファーもありました。

今思えば、なんであんなに貧しいのに家の中はあんな家財があったのか。そこが欠点だとはっきり思います。

最大の欠点は「自営業」にあり

両親が共同でお店を経営するとどうなるのか。経営がヘタクソなのになぜ自営業だったのか。

サラリーマンの家庭が羨ましくて仕方ありませんでした。

両親が経営をしていた喫茶店ですが、私が中学卒業のころに喫茶店は閉めて別の土地で食堂を始めたんです。

今度は自宅兼店舗型の住まいを新築で建てました。

なぜ銀行がこんな貧乏人にお金を貸したのか?バブルだったからとしか考えられませんが、これによってどん底へ落ちていき、両親は離婚。

母と私と妹は別の土地へ引っ越しを。

この時点で実は3回引っ越しており、記憶にない分を入れると5回。さらに引っ越したので計6回。

引っ越し貧乏はこの事を言いますよね。

貧乏な家には必ず原因がある

貧乏体験記はまだまだありますが、ここで1度まとめます。

すぐに借金をする人は間違いなく貯金ができません。お金を貯めてから何とかしようとする考えがまずないです。

これは父を見てそう思いました。

そして母は真面目一直線で「頑張れば何とかなる」しか言いませんでした。この頑張り方が間違っていたと思います。

ひたすら働けば何とかなるってつい思いますが、お金のやりくりを根本的に直さない限りは貧乏って永遠に続くと感じました。

こんな貧乏時代を経験した私ですが、今では前向きに生きています(笑)そして母も元気です。妹もね!

最後まで読んでくださりありがとうございました。

ラー子でした!

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プロフィール
raako

40代主婦、夫と子供と3人暮らし。
ウェブライターとして生きています。
脱縮毛矯正をして第2の人生を歩んでいます。

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